鶴ヶ城は戊辰戦争で約1カ月の猛攻に耐え、難攻不落の名城とうたわれました。
明治7年、政府の命令により石垣だけを残して取り壊されましたが、
昭和40年に再建、平成12年に飯干櫓と南走長屋を復元されました。
鶴ヶ城会
福島県会津若松市追手町1-1
http://www.tsurugajo.com/turugajo/shiro-top.html
TEL : 0242-27-4005
開館時間 : 8:30〜17:00(入城16:30)
休館 : 無休
料金 : 鶴ヶ城天守閣・茶室「麟閣」共通券500円 / 鶴ヶ城天守閣400円
アクセス : 磐越自動車道・会津若松ICより車で約15分
駐車場 : 有料
北出丸から椿坂を通って本丸へ向かいました。
この日は雨が降ったり止んだり、傘を手放せませんでした。
遊女石
椿坂を上ると右手の石垣にある鶴ヶ城で一番大きな石です。
美しい遊女を乗せ、勢いをつけて石を運んだとも伝えられています。
太鼓門
北出丸から本丸へ通じる大手門(追手門)のこと。
そこには多聞櫓が立てられ、大太鼓が備えられていました。
城主の登城や非常事態、その他の合図に使用されて事から太鼓門と呼ばれていました。
武者走り
大手門の渡り櫓などへ内側から簡単に昇降出来るようにV字型に作られた通路階段で、
鶴ヶ城の特色の一つです。
地表面での占有面積が少なく済んでおり、当時の石積みの知恵がうかがえます。
鉄門(くろがねもん)
柱や扉は全て鉄で覆われている事から名づけられました。
左右の石垣には化粧たがねが入れられており、切込ハギと呼ばれる工法で築かれています。
千飯櫓と南走長屋
帯郭と本丸を隔てる重要な位置にあります。
千飯櫓では主に食糧の保管に、南走長屋は帯郭から本丸への敵の侵入を防ぐ要と考えられいます。
2001年、復元されました。
横矢掛かり
ジグザグした石垣のこと。
これは敵を側面から攻撃する工夫です。
月見櫓
武器が収められていた所で、櫓にかかる月が大変美しく見えた事からこの名が付きました。
茶壷櫓
貴重な茶器類が収めれていたところです。
石垣の高さは城内では最も高く20メートル余で、扇勾配は「忍者落とし」とも言われています。
荒城の月の歌碑
土井晩翠作詞の名曲「荒城の月」は、鶴ヶ城と仙台の青葉城をイメージして作詞されたそうです。
お茶室「麟閣」
天正19年(1591)千利休は豊臣秀吉の怒りを買い死を命じられました。
秀吉の怒りが千家一族に及び利休の茶道が絶えるのを惜しんだ、時の会津城主「蒲生氏郷」は、
利休の子少庵(しょうあん)を会津にかくまい、千家の再興を願いでたのです。
この恩義に報い少庵が建てたのがこの「麟閣」と伝えられます。
その結果、少庵は許され、京都へ帰り千家を再興することができたのです。(HPより)
御三階跡
会議等に使用されたとされる建物。
現在は市内の阿弥陀寺に移築され今も大切に保存されています。
鶴ヶ城のゆるキャラ、お城ボくん。
城内をひと通り回った最後の最後にお出迎えしてくれました。
この鎮座している姿にやられてしまいました。
完成度がかなり高いキャラにグイっと心を鷲掴みされました。
会津若松市出身という事もあり、
タイムボカンやハクション大魔王などでお馴染の笹川ひろしさんがデザインされたそうです。
ガイドさん付きの城内観光、とても興味深いお話が聞けて有意義でした。
鶴ヶ城の後は、来年1月14日までという期間限定のハンサムウーマン八重と会津博 大河ドラマ館へ。
充実の会津観光はまだまだ続きます。
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